7月27日。
カレンダーの小さな文字に「スイカの日」と書かれているのを見て、ふと昔のことを思い出した。
夏の横綱とも呼ばれるスイカ。
甘くて冷たくて、子どものころのわたしには、あれが“ごほうび”の象徴だった。
でも、社会人になってからの夏は、汗とプレッシャーと忙しさで、どこかスイカの味すら忘れてしまっていた気がする。
「頑張ってるのに、どうしてうまくいかないんだろう」
最近、そんな気持ちばかりが胸にたまっていた。
仕事も恋愛も、努力してるつもりなのに、報われていない気がしていた。
そんなとき、ふと「少し帰っておいで」と母から電話があった。
久しぶりに帰った田舎の実家。どこかホッとする空気。玄関先に漂う、草の匂い。
縁側に座っていた祖母が、にこにこと笑って、私にスイカを切ってくれた。
まるで昔にタイムスリップしたみたいな時間だった。
「今日はスイカの日なんだって」
私がそう言うと、祖母は「へぇ、夏の横綱かい。立派な名前だねぇ」と笑った。
「このスイカもね、誰かが汗水たらして育てたんだよ。
土を耕して、水やって、暑さの中で…それでも、スイカは何も言わずに甘くなる。偉いねえ」
その言葉を聞いて、なんだか胸の奥がジンとした。
私は、どこかで「結果」を急ぎすぎていたのかもしれない。
努力はすぐに報われるべきだって、そんな風に焦っていたのかもしれない。
祖母の部屋に飾られていたカレンダーには、「祝彩日めくり」という言葉のカレンダーがあった。
その日──27日の言葉には、こう書かれていた。
努力しつつ
宇宙に呪いを言う人は
宇宙を敵にし
自分だけで闘っている
努力せずとも
宇宙に感謝を言う人は
宇宙を味方にし
宇宙とともに生きている
それを読んだとき、はっとした。
わたし、ずっと宇宙を敵にしてたかもしれない。
頑張ることにしがみつきながら、「なんでこんなに辛いの?」って、文句ばかり言っていた。
「ありがとう」って、言ってなかった。
スイカの果汁が口いっぱいに広がる。
ふわっと甘くて、懐かしい。
種をぷっと飛ばして、空を見上げた。
青空の先に、わたしを見守ってくれている“何か”がいる気がした。
それを「宇宙」と呼んでもいい。
目に見えないけれど、味方になってくれる存在。
努力は悪くない。でも、心の中で「ありがとう」を言うことは、もっと大事かもしれない。
この日から、私は毎朝、こっそり空に向かって感謝を言うようになった。
「今日も私を見てくれて、ありがとう」って。
仕事がうまくいかない日でも、眠れない夜でも、
それだけでちょっと心がほどけるから、不思議だ。


